川柳は素晴らしい
川 柳 人 協 会
はじめに
川柳人協会のホームページ開設にあたり、まずは川柳とはどういうものであるかを知っていただきたい。「川柳とは」、「川柳の歴史」、「川柳鑑賞」、「川柳の作り方」の四つに絞って話をすすめてゆきたい。これだけでじゅうぶん、川柳の素晴らしさを伝えることが出来るとおもっている。川柳の作り方を最後に入れたのは、自分の思いを句にすることで、ほんとうに川柳が理解できたといえるのではないだろうか。いままで川柳を知らなかったひとばかりではなく、川柳をはじめて間もない方にも、ベテランのみなさんにも、冷やかし半分でもいいから関心を持っていただければありがたい。これからの指針になどとは言わない。これを読んでいただいて、川柳の素晴らしさを知ってもらいたい。ベテランには再確認的程度というのが、これを書くことの動機であり、願いである。
川柳とは
二〇一一年の明るい話題の筆頭は、何と言ってもなでしこジャパンの活躍である。強敵アメリカを破っての優勝は、何かと暗いニュースばかりだった日本に、大きな灯りを点した。これからの活躍が期待されるばかりでなく、それに応えられる力を備えている。現に予選を一位で通過して、オリンピック出場の切符も手に入れた。チーム名なでしこジャパンという命名は、大和撫子をイメージしてのものである。大和撫子は撫子の異称であるが、日本の女性の美称としても知られている。お淑やかで控え目というイメージであるが、なでしこジャパンの場合はそれだけではない。むしろ現代女性の実際的な美称としてイメージを変えた。すなわち活発で、活動的で、積極的などが加えられる。これからの日本女性のイメージとして、世界に伝わるのではなかろうか。日本女性のこれからが注目されていくだろう。
テレビで紹介される彼女たちは、どなたも魅力的でひとをひきつけるものを持っている。川柳もそれにあやかりたいところだが、いまのところ接点はない。なでしこジャパンは、テレビなどで紹介されることで、さらにいいイメージが広がっていったことは確かである。だから川柳も良質の作品に触れることで、川柳とはどういうものかを知ることが、いいのではないかとおもう。最初にどんな作品に触れるかで、そのひとの川柳人生が決まってくるとおもうからでもある。
まずは作品を紹介してみたい。
あの人もこの人も好き桃の花 | ふじむらみどり |
いい話妻にも受話器替わらせる | 山崎 凉史 |
国境を知らぬ草の実こぼれ合い | 井上 信子 |
蟹の目にふたつの冬の海がある | 大野 風柳 |
人間のことばで折れている芒 | 定金 冬二 |
安酒の店の優しい目鼻立ち | 唐沢 春樹 |
鯛焼きの尻尾理屈をこねている | 齊藤由紀子 |
千本の棘を土鍋で甘くする | 渡辺 梢 |
とろとろと葛湯のような村の春 | 林 マサ子 |
フライングばかりしているアヒルの子 | 興津 幸代 |
疑いが晴れたら着たい彩がある | 川上 富湖 |
公園のベンチに掛ける幾山河 | 及川 右郷 |
半世紀かけて阿吽を飼い馴らす | 中島 宏孝 |
- いずれも五・七・五の定型である。
- わかり易い口語表現である。
- そこはかとないユーモアがある。
- 自然より人間が中心のように感じられる。
- 喜怒哀楽、人生の深淵が感じられる。
日本には古くから短歌、俳句に代表される、七五調若しくは五七調の伝統文芸がある。漢詩においても、経文などでも、五と七のリズムで音読される。この音律は口誦性からくるきているのである。明治になって外国から自由詩が入ってきたが、ここにも七と五のリズムが重用されている。上田敏の『海潮音』も端正な七五調のリズムで、格調高く紹介されている。その巻頭の「山のあなたに」を諳んじていられるのも、七と五のリズムの助けがあるからである。
君死にたまふことなかれ 与謝野晶子
あゝをとうとよ、君が泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までそだてしや。
第一連のみだが、七・五、七・五の繰り返しが、与謝野晶子とこれを読む者の悲しみを増幅させる力になっている。このリズムは、日本語と切っても切れない環境にあるのではないだろうか。
日本語と七・五調についての説明がある。
「たしかに、七音・五音の生みだすリズムは特別にリズミカルです。というのも奇数音句はそのなかにつねにひとつの異質な律拍、すなわち一音の半端な音と一音ぶんの休止とからなる律拍を内包するからです。(中略)次のようにして単純な八音句と七音句をくらべてみればただちに歴然とします。
タタ タタ タタ タタ (八音句)
タタ タタ タタ タ・ (七音句)
前者は、二音の律拍の反復に終始していて単調そのものです。しかも句の終わりにむかってだんだんと重くなってゆく感じです。以下略(坂野信彦著『七五調の謎をとく』大修館書店)」。
日本の言葉は偶数音律だという。名詞の多くは二音である。耳、鼻、口、頬、眉、顎、髭などである。だから奇数音にして一拍おくことで、言葉に弾みがついてくるのだ。あるいはそこで切れて、場面転換の役割を果たしてくれる。したがって、川柳は五・七・五のリズム感で成り立つ文芸である。だからと言って、五・七・五に縛られている、捉われている、と思っては困る。むしろ五・七・五に助けられて、成り立っていると考えてほしい。言葉や想いは本来制約を拒むものである。それを形に収めることで、思いを整理し、新しい力を再生させるということである。破調とか自由律という言葉もあり、そういう作品も存在する。しかしこれらの言葉および作品は、定型というものがあって始めて存在するものである。したがって、まずは定型ありきなのである。
では、同じ五・七・五に俳句があるではないか、どう違うのかという疑問が出てくる。これも並べて比較することで、違いがあるのかないのかの検証をしてみたい。
昔とは父母のいませし頃を云い | 麻生 路郎 |
ことさらに雪は女の髪へ来る | 岸本 水府 |
亡妻の言葉も夢のつづれさせ | 村田 周魚 |
振りかえる我が身に年の数ばかり | 前田 雀郎 |
分譲地そのまま風の秋になり | 川上三太郎 |
大笑いした夜やっぱり一人寝る | 椙元 紋太 |
元日や手を洗ひをる夕ごころ | 芥川龍之介 |
大阪へ今日はごつんと春の風 | 坪内 稔典 |
夏の蝶白々浮きて通りけり | 上林 暁 |
沓掛や秋日ののびる馬の顔 | 室生 犀星 |
買物のやたらかさばるみぞれかな | 久保田万太郎 |
雨だれは目を閉じてから落つるなり | 折笠 美秋 |
川柳では口語体で思いを直截的に述べているのに対して、俳句は切れや季語の力を借りて美しさをまとっている。川柳は卑近な事柄を題材にすることが多いので、ストレートに表現される。散文的である。それに引き換え俳句は、同じ日常ではありながら、文語でまとい、季語や切れ字でいったん距離をあけている。そこに美観を見つけようとしているのである。だから川柳とは逆に詩的である。誤解を恐れずに言えば、川柳と俳句の違いを一口で言えば、川柳が散文的であるのに対し、俳句は長い歴史のある和歌的詩の世界に通じるものがある。
2についてもこれまでの説明で納得してもらえたとおもうので、3についての説明をしてみたい。つまりユーモア、くすっと笑えるということだが、本来俳句にも笑いの部分があるのである。それはどちらも俳諧という文芸に根があるからである。
春の風ルンルンけんけんあんぽんたん | 坪内 稔典 |
首ふり亭主尻ふり女房走馬燈 | 中村草田男 |
秋風に粉ぐすりを呑む舌を出し | 小寺 勇 |
春雨に大欠伸する美人哉 | 小林 一茶 |
梅干と皺くらべせん初時雨 | 小林 一茶 |
しかし近年は生活の多様化、社会の仕組みの複雑さなどに加えて、「個」を大切にする志向が強くなり、個を詠おうと言う気運が強くなってきた。そうなると笑ってばかりいられないという状況である。心象や抽象にまで踏み込んできたのである。
ほんとうの家族を探す縄電車 | 海地 大破 |
湖がしずかに嵩を増してくる | 金築 雨学 |
奪取したのは一枚の海でした | 倉富 洋子 |
まどろみの机へ波が寄せてくる | 古谷 恭一 |
夕凪の海を手帳に挟みこむ | なかはられいこ |
ひとには育った環境や経験、知識の積み重ねなど違った環境を持っている。そうしたものが影響して、鑑賞にも違いが出てくるのは当然である。作品は読み手によって完結する、という言葉がある。ならば、誰かの作品を自分独自に完成させるのも楽しいではないか。これはあくまでも鑑賞の仕方であって、作句姿勢をいうものではない。句はあくまでも、自分の世界、自分の思いが現れていなければならないからだ。
さまざまな川柳
川柳は短歌や俳句よりも間口が広い。それはいろいろの川柳があるからである。もちろんそれらの川柳を区別したり、色分けしたりするのは便宜上のものであって、歴然と線が引かれていたり、段差があるということではない。比べるものでもない。自分の志向に合わせて選択するもよし、しなくてもよし、感性や好みにしたがって無理をしないことである。無理はいずれ破綻するからである。サラリーマン川柳
会社より故郷が近いマイホーム | 卓 |
運動会抜くなその子は課長の子 | ピーマン |
まだ寝てる帰ってみればもう寝てる | 遠くの我家 |
頑張れよ無理をするなよ休むなよ | ビジネスマン |
みな出世するはずだった入社式 | 同窓会 |
時事川柳
アベックに陽が当たってる夏時間 | (昭和二三年)穂生 |
ナデシコが魔女になる日をみんな待ち | (昭和三九年)鶯渓 |
三億円ああ千円で何枚か | (昭和四三年)義明 |
赤人も鼻をつまんで田子の浦 | (昭和四五年)アサヨ |
譲られる座席昭和もいつか老い | (昭和六〇年)魚門 |
ユーモア川柳
妻の皺半分ほどの責めを負う | 今川 乱魚 |
肥っては生きていけない渡り鳥 | 津田 暹 |
何にでも効くスマイルを処方され | 石井 頌子 |
出世して今はお詫びをする立場 | 有澤 嘉晃 |
皿投げて制空権を妻が取る | 浅原志ん洋 |