台湾の川柳
川柳人協会会員 江 崎 紫 峰
(1)台湾川柳の歴史
1927年に台湾日日新聞の文芸欄に川柳が登場。1940年には塚越迷亭が台湾川柳社を設立し『川柳 國性爺』を創刊。会員は約30人。『川柳 國性爺』に発表した頼天河の作品
同期でも活字が違う職員録 |
悪友の酒を新婚うまく逃げ |
転職の心得ありに教えられ |
初代会長 頼天河(1994年7月~)
二代目 李琢玉(1998年3月~)
三代目 頼柏絃(2005年7月~)
四代目 杜青春(2010年7月~現在に至る)
台北川柳会開設後の日本との交流記録は次の通りである。
①1994年10月に仲川たけし会長、1995年に今川乱魚東葛川柳会会長(当時)が台湾を訪問
②第百回記念句会(2002年11月)には、日本から佐知川川柳教室、陶八雲川柳会、たましま川柳会、川柳銀の笛吟社のメンバーが参加。台湾川柳会に名称変更
③2005年3月には東葛川柳会と台北市のホテルで合同句会を開催
④2008年6月には頼会長が全日本川柳協会の福岡大会に出席
⑤「今川乱魚さんを偲ぶ会」(2010年10月)に頼名誉会長と杜代表が出席
⑥以後現在まで、杜代表は日本各地の川柳会を歴訪
⑦2006年には今川乱魚編『李琢玉川柳句集 酔牛』(新葉館出版)を出版
⑧創立20周年記念句会を台北市の国王飯店で開催(2014年3月)。日本からは大野風柳全日本川柳協会理事長以下35人が出席。江畑哲男・台湾川柳会編『日台交流川柳句集 近くて近い台湾と日本』(新葉館出版)を記念出版
参考図書
上記『酔牛』『近くて近い台湾と日本』
下岡友加県立広島大学准教授の論文「台湾川柳会の歴史的意義」
杜青春「台湾川柳会の今昔」(番傘「リレー放論」より)他資料
(2)台湾川柳会の現況
台湾川柳会は台湾側会員約30人(在台日本人を含む)、日本側投句会員約60人である。毎月の句会は互選方式で行う。出句者は70人~80人、当日の出席者は約20人である。また、それとは別に前月分の課題・雑詠を日本側会員に、今月分課題・雑詠を台湾在会員に選を依頼してその結果と互選結果を会報に掲載している。そして、他にみられない特徴としては、日本からの出句内容で台湾側に分からない語句・文化・流行等(その逆も)があれば、バイリンガルの杜代表が解説記事を添えている。これは小さいながらも有意義な日台民間文化交流であり、杜代表の大きな業績の一つである。
(3)台湾の作品
台湾代表作家李琢玉の作品
一生に国籍三つとは非常 |
君が代も三民主義もヨソの国 |
ニッポンという愛憎に揺れるクニ |
自分史に戒厳という負のページ |
戒厳の生傷癒えぬまま老いる |
半世紀かかって辿り着く自由 |
李登輝の長い顔タイワンの顔 |
一票に台湾人の底力 |
創立20周年記念句会大野風柳特別選(台湾在会員へ)より
特選 | 開店と閉店だけに来るお客 | 錦上 |
「開く」 | 開かずの間鍵はあなたに預けます | 青春 |
ぼそぼそと授業開始の鐘が鳴る | 紹宗 | |
あくなのかひらくなのかと迷う僕 | 桃太郎 | |
君の胸開ける呪文はないかしら | 可裕 | |
「台」 | 隠し味こだわり過ぎて台無しに | 榮子 |
人生の味付け感じる屋台店 | とみ子 | |
もう一度夢を追ってる洗面台 | 信生 | |
台所刀持つ事許すとこ | れい | |
「雑詠」 | 市長選給料返して票を買い | 勝敏 |
剃刀に命預けて眠りこけ | 高薫 | |
アンケート景品あればすぐ答え | 明星 | |
見舞品見れば禁食物ばかり | 錦上 |